食養生 〜わたしたちのイマドキごはん〜

梵恵

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小雪の巻

★★小雪の巻☆★
 立冬を過ぎて、朝の冷え込みは少しずつ強くなってきていますね。この後ずっと寒くなる一方か、なんて切なくなってしまうと、体まで冷え込んできてしまうので、四季を楽しんでやろうという挑戦的な気持ち、忘れないでくださいね。
 「気持ち」といえば見えないもの、「気のせい」といえば実体のないものというのが一般的な認識ですが、中医学の世界で言えば両方共キッチリ「物体」として認識されるもの。世界の全てが気でできているのだから「気の持ち方」が心の有り様だけなく、体にも反映されるのは当たり前ですし、全ての変化は「気のせい」というより「気のおかげ」で発生していることになります。となれば、切ない「気持ち」は気の運動を阻害して熱の発生を押さえてしまい、体まで冷え込んできてしまうのが例えではなく現実になるのも、当然のことになるわけです。
 ある意味、言霊の考え方ともつながってきますよね。たかが言葉、されど言葉といった扱いをされますが、言葉は空気の振動で耳に届くもの、振動が起きている時点で思いきり物質的なもの。遠雷の音が何気なく私たちの元にも届いてしまうように、口に出した音は何気なく世界に届き、その言葉が汚ければ空気も汚れていく。至極、論理的な発想です。
 もっとも、どんな些細な物理的影響も遥か遠くまで届くのだ、というのは古典力学の考え方。電子顕微鏡などで細かい世界の様子がわかるようになってからというもの、量子力学という新しい力の伝わり方の法則・体系が見え始め、それらが組み合わさっている世界は、思うほど簡単でもシンプルでもないのかもしれない、そんな流れで今日まで来ています。
 おぉ、そうなると私たちの体の仕組みに関する理解も今までとは違ってきて、という話になりそうですが、そこは幸いというか、あいにくというか、まだまだ歴史的な法則が生きています。だからこそわかりやすく、即効性は期待できないだけに難しいところでもあります。
 さて、この季節の私たちの体は、ひたすら「しまいこむ」「ためこむ」「動かない」「固まる」という方向に傾いていきます。「閉蔵」という言葉で示されるこの時期は、まさに「蔵」が閉じてしまう時期。「蔵」とは「私たちの内臓の働きプラス内臓そのもの」を指し、会社で言えば部署的な感じ。その会社の部署が、一つ一つ「寒いんで通常稼働をお休みしまーす」という具合になっていく。
 今の私たちの社会では、人は通年働くのが当然、昼夜で効率は同じであって管理できている、みたいな認識が普通になっていますが、私たちの体は機械ではないわけですから、そうそう上手いこと、いつでもハイパフォーマンスというわけにはいきません。効率が落ちている体に極力負担をかけず、どうやって長く使いこなしていくかが、この時期&人生に課される身体的課題。
 前回は、その手始めとして黒胡麻の継続摂取をお勧めしましたが、今回は「ゾクッと来たら生姜で対策」をお勧めします。これもまた、皆さん既に御存知だとは思うのですが、生姜の一番の効能は「発散」。体の外側に寄ってきた邪気をエイヤッと吹き飛ばす力に優れています。吹き飛ばすのに気を使う分、エネルギーは減ってしまい、体を温める力が落ちるのです。なので、ゾクッときた、生姜を大量に食べた、結果余計に具合が悪くなった、という悪い循環も想定内。生姜を摂りすぎない、同時に体を温めるものを飲食する、そんなバランスも必要になるということです。
 これからの時期、様々な面で「片手落ち」が私達自身を苦しめるようになります。過ぎたるは及ばざるが如し、全体を見ながら仕上げていく余裕を持ちましょう。

 (出典:日本中医食養学会編纂「食物性味表」改訂2版)